Toyotama Broadcastiong Clubの略称だ。
それでも普通の人にはわからないだろう。
都立豊多摩高校放送部のことだ(笑)
ふと考えてみれば俺は放送部の部長をしていた。
そして気が付けばあれから30年後の今、4代上の部長や他の部員などと、愛川欽也さんのインターネット放送局の手伝いをしている。
卒業後30年も立った今、4つも年上の先輩とともに何かが出来るということもおもしろいというか、普通ではなかなか無いことだろう。
昨日も20時~23時の生放送でネットへの送出から音響を俺がやった。
考えてみれば、感覚的には30年前の昼休みの校内放送と変わらない感じだ。
感覚的に当時と異なるのは映像も配信されていることくらいだろう。
あの頃培った人と人のつながり、そしてメディアの楽しさ、30年経っても当時と変わらないのだ。
ネット放送との関わりは、1995年位に当時のダイエー中内さんの放送局の手伝いをして以来だが、今では技術もかなり進歩してテレビ並みの放送が出来るようになったのは驚きでもある。
もう少し価格が安くなれば、電波は無くても良くなってしまうかもしれない。それほどネット放送の質は良くなってきている。
それにしても、高校を卒業して30年後に、当時の仲間と、当時と同じ様なことをしている感覚はとても不思議な感じだ。
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