10月17日に浦安市民ホールWAVE101にて、Carry Smile解散ワンマンライブが開催された。
5年ほど応援してきたCarry Smileが解散したのだ。
東京学館浦安高校の剣道部の"せんぱい"と"まっき"が、高校を卒業してから結成したCarry Smile、活動期間は約10年だ。
俺と彼らの出会いは2005年だった。
新浦安文化村のステージなどの出演者を集めるのに苦労していたとき、会社からの帰宅途中にたまに駅で見かけた彼らが気になった。
決して歌や演奏が上手なわけではなかったが、二人の声のハーモニーだけは奇跡のように美しかった。
とあるきっかけでその年の11月に、日の出のLocoDishでCarry Smileのミニライブを開催した。新浦安文化村で使っていた音響機材などを提供しての開催だった。
その季節のイベントは学生時代の文化祭の様でなかなか楽しかった。
その後もインディーズで活躍する彼らの応援を続け、販売するCDのレコーディングやそのジャケットの撮影や印刷なども手がけるようになった。
毎週末、開催する路上ライブやライブハウスでの演奏まで毎回同行してプロモーションを手伝った。さらに、FMうらやすの番組「うらスマ」の番組制作も毎月手がけた。
そして、メジャーデビューを目指すかららを、俺は友人らとともに強力にサポートした。
メジャーデビュー直前には、浦安市内で応援してくださる方々の協力で、バルドラール浦安の公式応援歌「One Way」を発表することが出来た。
そして2008年4月12日にはアルバム「ここから...」で、念願のメジャーデビューを果たした。
デビュー後も、毎週末のキャンペーンでスーパーやショッピングセンターなどでのプロモーションに同行して彼らのサポートを続けた。
デビュー後は、映画の出演や、演劇の挿入歌、さらにはテレビCMで彼らの曲が使われるなど、順調に進んでいるようにみんなには見えていたようだったが...
問題は、俺も毎週出席していたレコード会社の会議では、次なるアルバムの楽曲選びが行われていた。そこでの大きな問題は、"これだ!"という曲が出来ないことだった。
毎週新曲を提出することすら危うくなる状況にまで陥った。
ただ、彼らのプロモーションに参加する誰もが、一度走り出したら止まることが出来ないことを知っていた。
これぞという新曲が出来ない状況で、新曲が出来ないならカバーアルバムを出そう!そんな声も上がり何週間も検討したが、様々な理由で中止となった。
その後、苦肉の策として、彼らの最大の武器であった「輪廻転笑」をリメークしてのプロモーションが始まった。
初めてのプロモーションビデオも撮影されたり、アパレルのスポンサーが付いてみたりと、周囲の人々の努力で次々と新しいプロモーションが投入された。
そんな状況の中、彼らはまだ新曲を生み出すことは出来なかった。
やはり、そこそこの曲は作るが、これぞ!という曲が生み出せなかったのだ。
俺から見ると、その状況で彼らは次第に目的を見失っているように見えた。
毎日、自分たちで更新すると約束した彼らのWEB内のブログの更新を怠るようになり、数度の注意を無視され、ずっと作り続けてきた彼らのWEBを俺はやむなく閉鎖した。
厳しい様だが、自ら努力しない、目的を失ったアーティストがメジャーで成功することはあり得ない、そう判断したからだ。
俺も含めて周囲の人々が続けることを願っていたが、彼らは活動を自ら休止した。
そして、2010年10月17日に解散したのだ。
手伝うスタッフの居なくなり、彼らだけで企画から運営までを行った解散ワンマンライブは、Carry Smileファンの同窓会の様な雰囲気だった。
路上ライブに毎週来ていた女子高生たちが二十歳の大人になっていたり、母に手を引かれて来ていた子供が小学生になっていたりと、Carry Smileの活動期間の長さを感じた。
彼らの活動をサポートしてきた5年間で、様々な人と出会うことが出来た。
彼らの活動を通して出会った人々は、俺にとってかけがえのない財産だと思う。
Carry Smileが消えても、俺にはたくさんの友人が残った。
デビューアルバム発売日の記念写真@ヨーカドー幕張店