いとうちひろのエッセイ「ニッポンの会社今昔物語」

戦慄の深夜残業

これは、コンピュータ関係の某メーカー開発センター内でのお話です。

それは、今からちょうど一年ほど前の6月のことでした。
どうしても解決できない障害が発生し、山川さんは今日も残業していました。
つい先ほども、2年先輩の中村さんと佐藤課長の激しい討論があったばかりでしたが、事体はちっとも進展しません。生産ラインに乗せる為の期限はもうすぐそこ迄迫ってきているのに、試作の段階でつまずいたまま、もう何日も経過してしまっていました。

(課長もダメ出しばかりしていないで、何かアイディア出せよなー)

どんなアイディアを出しても、よく聞きもしないで却下し続ける課長にイライラしつつ、時計に目をやると、ちょうど0時を回ったところでした。
それは、ちょうどあと2本で終電というタイミングでした。

(今日も徹夜かぁ・・・・・・。ん?)

その時、モニターに目を落としかけた彼の視線の端を、黒っぽい影が横切った様な気がして、フト顔を上げました。
普段は、他の部署の人間も数人居残っているのですが、珍しく今日は彼と中村さん、そして課長しかいませんでした。
辺りをぐるりと見渡してみましたが、無論誰もいるはずがありません。
先程守衛が見回りに来た時、彼等の回りだけを残して電源を落として行ったので、辺りは暗く、所々にある非常灯の緑色の明かりがぼうっと見えるだけでした。

(気のせいか・・・。疲れたまってるしなぁ〜)

首をクキクキと左右に動かした後再びモニターに目を落とした彼は、そのままの姿勢で凍りつきました。
何かの気配がするのです。誰もいないハズの居室の奥から、何かが近づいて来るのです。
(ひ、ひとじゃない・・・)

それは、明らかに人間の気配の『それ』とは違っていました。
しかし『それ』は、かすかな音をたてながら、それは確実に近づいてきていました。
彼は凍りついたまま、上目使いでそっと他の2人の様子をうかがいました。
けれど2人はまったく気づいていないようで、課長は腕を組んだまま天を仰いでいたし、中村さんはモニターを見詰めていました。

(ど、どうしよう・・・・・・)

そうこうしているうちにも、『それ』は着実に彼に近づいてくるようでした。

(来るな、来るな、来るなーッ!!)

彼は叫びだしたい気持ちで、ぎゅっと目をつぶりました。

(!?)

『それ』は彼のすぐ後ろをすり抜け、次の瞬間、

「うわあッ!!!!」

課長が大きな悲鳴をあげ、椅子からひっくり返ったのです。
彼は反射的に立ち上がり、恐る恐る課長を見ました。
そこにあったものは・・・、

何と、体長5cmはあろうかという巨大なゴキブリが、佐藤の右肩にへばりついていたのです!!

言葉を失い呆然とする彼に、中村さんが言いました。

「さ、終電、終電」

後ろも見ずに去ってゆく中村さんの後を、彼はパソコンの電源を落として慌てて追いかけていきました。
中村さんは、薄暗い階段を降りながら振返ると、ニヤリとしながら呟きました。

「天誅」

その後、課長が正門に姿を現す事はなかったそうです・・・。

次号は6月15日に公開予定です。

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