忘れられない記憶だ。
写真は地震当日の15時に撮影したシンボルロードの様子だ。
ぐらっときた後、ケイヨーデイツーから陸側で液状化のため、写真の様に水と砂が吹き出したのだ。写真を撮影している地点から海岸線を除く海側はほとんど何とも無かった。
何が起きたのか?
想像もしない大きな災害が起きたことをこの時点では認識していなかった。
そして、上下水道の復旧までの水無生活、生活物資の不足など、経験したことの無い日々が続いた。特にトイレが使えない、風呂に入れないというのがきつかった。
浦安では人命が奪われるような事態にはならなかったが、その後テレビで見たさらに想像を絶する光景、トイレとか風呂とか騒いでいる場合では無かった。
そして、原発事故、対岸ではコンビナートが爆発、どうなるのか?
不安な時間が過ぎていった。
市内でもいよいよ本格的な復旧工事が始まっているが、綺麗な街に復旧されてもこの記憶は消えないだろう。