5月2日に気仙沼の被災地へ行ってきた。
たった1日だったが、被災地の子供たちの笑顔が見られてよかった。
1日の夜、2台の車に鯛焼きを焼く台やガスボンベなどを積み込み浦安を出発、2日の朝には最寄りのSAに到着して夜明けまで仮眠した。
東北道を走って思ったのは、路面が荒れていることだ。浦安でいえばシンボルロードが応急復旧しているが、東北道も同じ状態なことにちょっとびっくりした。
路肩にコーンが置いてある場所は、速度を落とさないと危ないほどで、80キロの速度制限になっていた。
その後、ベース基地として使わせていただいた児童養護施設へ向かい、9時過ぎには鯛焼きを焼きはじめた。児童養護施設の子供たちは、学校が始まっていたの午後までは施設内は閑散としていた。
午前中には幼稚園へ持って行く鯛焼きを250個焼き上げ、幼稚園へ行った。
市内に2園ある系列の幼稚園の海側にあった園は、津波の被害を受け園舎が使えない。避難して子供たちは無事だったのは何よりだ。
ただ、ゴールデンウイークなのに遊びにも行けず、遊びに行く場所も無い子供たち。平野部分が無くなって、山側の地域だけが残っている気仙沼では子供たちの楽しみは少ない。
今まで遊んでいた場所も無くなっているのだ。
そんな子供たちが鯛焼きを食べて、笑顔を見せてくれたのは嬉しかった。
その後は、海際の神社へ苗木を持って行った。
神社の周囲は津波に流されて何も無い荒野となっていたが、その荒野の中にぽつりと神社だけが残っていた。神様の力か?なぜ神社だけが残ったのか?不思議な光景だった。
その神社へ、復興の先駆けとして、苗木をプレゼントした。神社の周囲は、草も木も全て流されていた。
午後は、児童養護施設の子供たちが学校から戻って来たので、子供たちと遊び、みんなに鯛焼きを焼いた。
一人の子供が、「明日は大きな地震が来るの?」っと遊んでいるときに聞いたのがとても印象的だった。親と別の場所で一人で暮らす子供の心の傷は大人には想像できないほど大きいのだろう。
気仙沼の被災地では自衛隊による捜索も行われており、いつになったら元通りの生活が出来るのか想像もつかない程だったが、小さなことでいいので自分の出来ることで支援を続けて行きたいと思った。
頑張ろう日本!頑張ろう浦安!
幼稚園のHPにはみんなの笑顔の写真が掲載されていました。
この写真の海際に神社があります。やはり神様の力か、神社の建物は無事でした。