いとうちひろのエッセイ「ニッポンの会社今昔物語」

社長と卵とコケコッコー

これは、私がある工業部品メーカーの調達物流部門で、物流事務の担当として働いていた時のお話です。
それは、いつもと何ら変わることのない、ある朝のことでした。
調達物流部の朝は非常に忙しく、従業員は下請け会社や自社工場から届く製品を引取って内容を確認し、既に受注している注文毎に仕分けをして、出荷及び配達の準備するという作業に追われていました。
勿論、事務職社員だって決してノンビリしていられる時間ではなく、納品伝票の内容・数量・金額を細かくチェックして、出荷伝票を作らなければなりません。
本来であれば、各支店からの注文内容がオンラインで送られてきて、伝票も自動で出力できていなければならない筈なのですが、私が入社する1年前に社内システムを5千万円もかけて作り直したところ、見事『大失敗』し(をいをい)、営業と物流でオンラインが繋がらないという状況に陥っており、それ以上の金額をかけてシステムを見直す余裕は会社にはなく、物流部門は伝票を全て手書きで作成しなければならないという、前時代的な作業をしなければならない『先行き怪しげな雰囲気満々』な会社だったのでした。
そんなわけで、調達物流部は毎朝『戦場』状態。皆黙々とそれぞれの業務をこなしていくのです。

さて、そんな職場に、いつもなら総務・経理部と本社営業部がある通称『分室』の方へ出社する筈の社長が、『ひょっこり』と現れたのでした。
「やあやあ、みんな、おはよう〜。」
「おはようございますっ!」
この会社は中小企業にありがちな、超ワンマン経営の会社でした。会社の名前に自分の名前をフルネーム入れた上に「の」という言葉まで入れてしまうという念の入れようです。信じられないかもしれませんが、会社の名前は『ヤマダタロウノ株式会社』という嘘みたいな名前だったのです。
そんな社長のお出ましですから、皆挨拶だけは大きな声でしましたが、その後はまた直ぐに各々の業務に取り掛かり始めました。
「あ〜、みんな、ちょっと手を止めて聞いてくれないかな。
  あ、君。ちょっと1Fと3Fの人達も呼んで来てくれたまえ。」
(ガ〜っ!なんだよもう。朝は忙しいんだってばーっ!(←従業員心の叫び1))
みんな内心そう思いながらも、変なことを言ってヘソを曲げられると、午前中の業務を棒に振ってしまうばかりか、ヘタをするとその場で首が飛ぶような事態にもなりかねないという状況でしたので、皆各々の作業を一旦打ち切ると黙って集合し、『社長様の訓示』を聞く体制を整えたのでした。

従業員全員が揃ったのを確認した社長は、「うぉっほん。」とひとつ咳払いをすると、嬉しそうな顔をしながら話し始めたのです。
「あ〜、従業員の複利厚生について考えていたんだが、ひとついい『案』が思いついたのだよ。」
「???」
社長はそこで言葉を区切ると、みんなの顔を一度ゆっくりと見回してから、話を続けました。

「屋上で、にわとりを飼おうと思う。」

「に、にわとりぃ〜!?」

普段から突拍子もないことを突然言いだす社長なので(昨年のシステム関連の問題もどうやら根源はその辺にあるらしいのですが、詳しいことはわかりません)、大概のことにはもう驚きもしない従業員達でしたが、今回の余りにも意表をついた発言には、思わず全員が素っ頓狂な声をあげてしまったのでした。

『福利厚生』と『にわとり』。

従業員達は、心の中でこの『ふたつの関係』の結びつきを一生懸命考えましたが、どう考えてみても、『にわとり』が『福利厚生』につながるとは思えず、とうとう思いあぐねた一人が勇気を出して尋ねてみたのでした。
「あの、『福利厚生』と『にわとり』には、一体どういう関係が・・・?」
社長は、その言葉に大きく頷くと、得意気に続けました。
「動物には、人の心を癒す効果があるというじゃないか。
  従業員は皆、朝から晩まで働きづめで疲れている。
(なら、少し休ませてくれぇ〜。(←従業員心の叫び2))
  犬は散歩させなきゃならないし、鳥は飛んで逃げるかもしれない。
  その点、ニワトリなら、散歩はいらないし、飛べないから逃げない。
  オマケに産んだ卵を食べられるだろう?」
(た、卵が食べたいんですか?(←従業員心の叫び3))
「・・・・・・。」
余りの発想の飛躍ぶりに、誰もが口をポカンと開けながら社長を見つめていたのでした。
社長は、その様子を見て、

『この素晴らしい提案に感動しているのだな?うんうん。』

と妙に納得してしまったらしく、
「取り敢えず、10羽位揃えようと思うのだが・・・。」
と、計画を推進し始めようとしたのです。

「ヤバイ、本気だッ!」

従業員達は、この突然の展開に大慌てでした。
屋上でにわとりなんて・・・。仕事しながら、日がな一日

『コケコッコー!コケーッ!』

という鳴き声を聞き続けなければならないなんて、とんでもない話です。
従業員達は、とにかく思いつく限りの『マイナスポイント』を列挙したのでした。
「しゃ、社長!!ここは住宅街でもありますから、近所から苦情が来ます。」
「そ、それに、卵は確かに産むかもしれませんが、エサ代もかかります。」
「飛べないとはいえ、にわとり小屋は作らなければなりませんから、その費用もかかります。」
「掃除は・・・、日曜の世話は誰がするんですか?休日出勤扱いになるんでしょうか?」
「う、う、うむぅ〜。」
従業員の必死の反論が逐一マトを得ていた為に、さすがの社長も自説を押し通すことが出来なくなってしまったのでした。
しばらくそのまま考え込んでいた社長は、「ウン」とひとつ頷くと、皆にこう言ったのです。
「分かった。ご近所もあることだし、ここではやはり無理だな。
  よし。工場で飼う事にしよう。」
(だーかーらーっ!何故にわとりなの〜っ?!(←従業員心の叫び4))
社長が、何故そこまで『にわとり』にこだわるのかが理解できませんでしたが、とにかく、ココでにわとりを飼わなくて済むことになり、皆安堵の表情を隠す事が出来なかったのでした。
「では、また来る。」
(オイオイ、まさか用事はそれだけかい!?(←従業員心の叫び5))
という言葉を残して、社長が調達物流部のビルを後にした直後、女性事務社員が全工場に『極秘にわとり情報FAX』を発信したのは、言うまでもありません。
社長の『にわとり計画』がその後どうなったのかは・・・、皆さんのご想像にお任せいたします。

次回は4月1日に公開予定です。

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